2012年06月28日
2012年03月28日
2012年03月13日
2011年09月10日
2011年08月24日
2011年07月26日
2011年07月25日
2011年06月27日
2011年06月11日
2011年05月28日
2011年05月23日
2011年05月16日
2011年05月10日
2011年04月17日
2011年04月14日
2011年04月13日
2011年04月06日
★被災地に行った友人の報告★
広島の友人が緊急支援で岩手に行ってきました
現状を知っていただきたく
そのまま添付致します
東日本大地震報告
平成23年3月24日
この度、岩手県陸前高田市に仮設トイレを配達した経緯と感想について報告します。11日の震災後に流れるニュースや新聞を見ていると気分が落ち込んできました。そんな中「現地に行きたい」と思うようになりました。
支援物資を被災地に運ぶ手続きを知りたくて15日に福山市役所に行きました。市の返答は「広島県に聞いて欲しい」との回答。早速、広島県に聞いたら、岩手県・宮城県・福島県の危機管理課の連絡先を教えてくれました。電話をすると「支援したい物資の内容・連絡先・をFAXで送ってください」との回答。私は、「仮設トイレ4台・仮設風呂1台・ストーブ2台・発電機1台の物資が支援できます」とFAXを送りました。(4日間後)19日に岩手県庁から電話があり「仮設トイレ4台のみ配達して欲しい。水道・電気・燃料不足なので仮設風呂等は必要ないです」との回答。一番に行ったのは、トラックの安全点検と冬用タイヤへの交換。20日は福山東署にて緊急車両の申請(岩手県からの救援物資配達依頼書と車検証を見せて)をしました。
21日の午前4時に自宅を出発。埼玉くらいからサービスエリアの食品の種類が少なく、群馬で2食分の食料を買いました。宇都宮より北は緊急車両のみの通行なので、給油は待たずにしてもらえました。東北道は停電の影響で照明は少なく道も段差が多数あり(眠気覚ましにはちょうどいい)緊張しながらの運転になりました。話題の福島県に入るとラジオでは原発の情報ばかりで○○町では○○ベクレルで風向きは○○Mの内容ばかりでした。福島県内では窓も開けず、トイレ休憩もなしで通過しました。岩手県一関インターを出たのは22日の深夜0時。目的地の陸前高田市までは一関インターから山越えで2時間かかるとの情報でした。夜が明けて走ろうかと思いましたが道路の凍結が怖いので現地に向かう事にしました。インターを出ると街は真っ暗で車が路肩に100台以上ありました。(徹夜でガソリンスタンドに並ぶ列だと後で知りました)暗い中でしたが、建物の被害や道路の亀裂もわかりませんでした。コンビニは閉まってました。夜道を2時間走り目的地である避難所の高田第一中学校に到着したのは午前2時。体育館の前に車が50台くらい、運動場では仮設住宅(プレハブ)の建設が始まってました。体育館の前で焚き火をしてたので被災者の方と1時間くらい話しをしました。そこには約1000人の避難者がおられるとの事。「どこから来たの?何時間かかった?」と質問攻めにあいました。焚き火をされてた理由は泥棒が多いので見張り。1000人が寝てる体育館に入り盗難するのと、車の見張りの為だそうです。「仕事」として全国から泥棒さんが来てるらしいです。食事は日に3回、おにぎり1個と味噌汁かパンと牛乳が配られるそうです。量が少ないので「体重が減ったんよ・仕事も何もせずに食べれるのはありがたい」と焚き火の前で話しました。夜が明けて役場の人の指示で仮設トイレを設置した場所は中学校から車で10分くらいの住宅団地にある集会所でした。その団地は高台にあり津波の被害はなさそうでした。電気と水道がないので、食事と睡眠とトイレは集会所で生活をされており、自宅へも帰られてる感じでした。その後、津波で街が壊滅した現場に向かいました。
ニュースの映像や新聞の写真で想像していましたが、電柱は根元から折れ曲がり、鉄骨はぐにゃぐにゃ、木造住宅は2階建てが平屋になり、車や物が散乱状態。地面は泥でいっぱい。海岸から5キロくらいが壊滅。「何もない」「復興できない」私が現場を見ての感想です。
被災者の方達は悲しさを通り過ぎてる感じでした。「親戚の家に行くより地元から離れたくない」この言葉が耳に残りました。
今回は小4の長女を学校を欠席させて連れて行きました。彼女の目に映った現実と将来、復興した陸前高田市を見に来て欲しいです。往復2700キロの移動は長い時間でした。被災地に行くのを知ってた家族や友人は何度も電話やメールをしてくれ心配をかけました。家に帰ると疲れよりも、故郷と家と家族のありがたみを感じました。2人の娘に「地震や台風で危険を感じたら小学校に逃げるんよ」と伝えました。
警察で発行してもらった緊急車両の期限が4月19日まであるのでもう一度、被災地に行くかもしれません。
個人的に必要な物資は自転車だと思います。燃料いらないし、復興の工事でトラックが街中を走っていても移動できるし。
この先、震災の影響で仕事や生活に支障が出てきますが、現実を見た私は乗り越えれる自信があります。
写真です








2度目となる支援物資である仮設トイレを岩手県釜石市に配達してまいりました。
1度目は1人で運転して大変だったので、今回は株式会社 緒方塗装の緒方和樹さんにお願いしたら
快く同行してくれました。
震災後,岩手県危機管理課に支援物資提供の申請をしておりました。
岩手県 ℡ 0196247385
宮城県 ℡ 0352129045
福島県 ℡ 0245211908
27日の朝に岩手県から電話があり「仮設トイレを3台配達して欲しい」と要請がありました。
緒方さんと準備にとりかかり27日に20時に福山を出発しました。
28日の16時に目的地である「釜石市シープラザ遊」に到着しました。
その場所は、福山でいう「コロナワールド」みたいな複合施設でした。
駐車場には
自衛隊車両にテント
簡易医療施設
救急車待機所
ボランティア受付所
支援物資保管所等がところせましとありました。
本部に「仮設トイレ」の置き場所を聞きに入りました。
中は受験の合格発表みたいに
死亡者名簿
行方不明者名簿 が掲載されていました。
テレビ等で見る「○○さん元気です」のメッセージカードも無数にありました。
施設内には仮設住宅申込書
死亡届
弁護士相談
小口資金貸し付け申し込み 等の役場の機能がありました。
尚、釜石市は警察署が津波の被害で機能しておらず、他府県からの警察官もたくさんいました。
今回は運転手が2人だったので44時間で2700キロを運転しました。
途中で雪が降ったりもしました。
「自分のできることをしたい」この思いで行動に移しました。
今回も激励の電話にメール、ツイッターでも応援して頂きありがとうございました。
尚、株式会社 クニヨシの早間さんには燃料代を頂きました。
下記のアドレスに緒方さんが撮ってくださった写真が見れます。合言葉は「仮設トイレ」です
http://30d.jp/kazpenki/16
被災地に行った者として伝える義務があると思い写真も添付しております。




広島から行ってるのに
まだ近い自分たちが何もしない
今、自分に出来る事を考えます
現状を知っていただきたく
そのまま添付致します
東日本大地震報告
平成23年3月24日
この度、岩手県陸前高田市に仮設トイレを配達した経緯と感想について報告します。11日の震災後に流れるニュースや新聞を見ていると気分が落ち込んできました。そんな中「現地に行きたい」と思うようになりました。
支援物資を被災地に運ぶ手続きを知りたくて15日に福山市役所に行きました。市の返答は「広島県に聞いて欲しい」との回答。早速、広島県に聞いたら、岩手県・宮城県・福島県の危機管理課の連絡先を教えてくれました。電話をすると「支援したい物資の内容・連絡先・をFAXで送ってください」との回答。私は、「仮設トイレ4台・仮設風呂1台・ストーブ2台・発電機1台の物資が支援できます」とFAXを送りました。(4日間後)19日に岩手県庁から電話があり「仮設トイレ4台のみ配達して欲しい。水道・電気・燃料不足なので仮設風呂等は必要ないです」との回答。一番に行ったのは、トラックの安全点検と冬用タイヤへの交換。20日は福山東署にて緊急車両の申請(岩手県からの救援物資配達依頼書と車検証を見せて)をしました。
21日の午前4時に自宅を出発。埼玉くらいからサービスエリアの食品の種類が少なく、群馬で2食分の食料を買いました。宇都宮より北は緊急車両のみの通行なので、給油は待たずにしてもらえました。東北道は停電の影響で照明は少なく道も段差が多数あり(眠気覚ましにはちょうどいい)緊張しながらの運転になりました。話題の福島県に入るとラジオでは原発の情報ばかりで○○町では○○ベクレルで風向きは○○Mの内容ばかりでした。福島県内では窓も開けず、トイレ休憩もなしで通過しました。岩手県一関インターを出たのは22日の深夜0時。目的地の陸前高田市までは一関インターから山越えで2時間かかるとの情報でした。夜が明けて走ろうかと思いましたが道路の凍結が怖いので現地に向かう事にしました。インターを出ると街は真っ暗で車が路肩に100台以上ありました。(徹夜でガソリンスタンドに並ぶ列だと後で知りました)暗い中でしたが、建物の被害や道路の亀裂もわかりませんでした。コンビニは閉まってました。夜道を2時間走り目的地である避難所の高田第一中学校に到着したのは午前2時。体育館の前に車が50台くらい、運動場では仮設住宅(プレハブ)の建設が始まってました。体育館の前で焚き火をしてたので被災者の方と1時間くらい話しをしました。そこには約1000人の避難者がおられるとの事。「どこから来たの?何時間かかった?」と質問攻めにあいました。焚き火をされてた理由は泥棒が多いので見張り。1000人が寝てる体育館に入り盗難するのと、車の見張りの為だそうです。「仕事」として全国から泥棒さんが来てるらしいです。食事は日に3回、おにぎり1個と味噌汁かパンと牛乳が配られるそうです。量が少ないので「体重が減ったんよ・仕事も何もせずに食べれるのはありがたい」と焚き火の前で話しました。夜が明けて役場の人の指示で仮設トイレを設置した場所は中学校から車で10分くらいの住宅団地にある集会所でした。その団地は高台にあり津波の被害はなさそうでした。電気と水道がないので、食事と睡眠とトイレは集会所で生活をされており、自宅へも帰られてる感じでした。その後、津波で街が壊滅した現場に向かいました。
ニュースの映像や新聞の写真で想像していましたが、電柱は根元から折れ曲がり、鉄骨はぐにゃぐにゃ、木造住宅は2階建てが平屋になり、車や物が散乱状態。地面は泥でいっぱい。海岸から5キロくらいが壊滅。「何もない」「復興できない」私が現場を見ての感想です。
被災者の方達は悲しさを通り過ぎてる感じでした。「親戚の家に行くより地元から離れたくない」この言葉が耳に残りました。
今回は小4の長女を学校を欠席させて連れて行きました。彼女の目に映った現実と将来、復興した陸前高田市を見に来て欲しいです。往復2700キロの移動は長い時間でした。被災地に行くのを知ってた家族や友人は何度も電話やメールをしてくれ心配をかけました。家に帰ると疲れよりも、故郷と家と家族のありがたみを感じました。2人の娘に「地震や台風で危険を感じたら小学校に逃げるんよ」と伝えました。
警察で発行してもらった緊急車両の期限が4月19日まであるのでもう一度、被災地に行くかもしれません。
個人的に必要な物資は自転車だと思います。燃料いらないし、復興の工事でトラックが街中を走っていても移動できるし。
この先、震災の影響で仕事や生活に支障が出てきますが、現実を見た私は乗り越えれる自信があります。
写真です
2度目となる支援物資である仮設トイレを岩手県釜石市に配達してまいりました。
1度目は1人で運転して大変だったので、今回は株式会社 緒方塗装の緒方和樹さんにお願いしたら
快く同行してくれました。
震災後,岩手県危機管理課に支援物資提供の申請をしておりました。
岩手県 ℡ 0196247385
宮城県 ℡ 0352129045
福島県 ℡ 0245211908
27日の朝に岩手県から電話があり「仮設トイレを3台配達して欲しい」と要請がありました。
緒方さんと準備にとりかかり27日に20時に福山を出発しました。
28日の16時に目的地である「釜石市シープラザ遊」に到着しました。
その場所は、福山でいう「コロナワールド」みたいな複合施設でした。
駐車場には
自衛隊車両にテント
簡易医療施設
救急車待機所
ボランティア受付所
支援物資保管所等がところせましとありました。
本部に「仮設トイレ」の置き場所を聞きに入りました。
中は受験の合格発表みたいに
死亡者名簿
行方不明者名簿 が掲載されていました。
テレビ等で見る「○○さん元気です」のメッセージカードも無数にありました。
施設内には仮設住宅申込書
死亡届
弁護士相談
小口資金貸し付け申し込み 等の役場の機能がありました。
尚、釜石市は警察署が津波の被害で機能しておらず、他府県からの警察官もたくさんいました。
今回は運転手が2人だったので44時間で2700キロを運転しました。
途中で雪が降ったりもしました。
「自分のできることをしたい」この思いで行動に移しました。
今回も激励の電話にメール、ツイッターでも応援して頂きありがとうございました。
尚、株式会社 クニヨシの早間さんには燃料代を頂きました。
下記のアドレスに緒方さんが撮ってくださった写真が見れます。合言葉は「仮設トイレ」です
http://30d.jp/kazpenki/16
被災地に行った者として伝える義務があると思い写真も添付しております。
広島から行ってるのに
まだ近い自分たちが何もしない
今、自分に出来る事を考えます
Posted by チャーリー at
12:16
│Comments(2)